SONYとリストラ

幼い頃から夢をよく見る。
長じてからは、1日に2本も3本も違う夢を見ることが増えた。

最近では、ソニーがリストラを発表するたびに夢を見るようになった。
取材先でお世話になった人たち、現場(現地)の責任者、中堅社員、若手。あるいは工場の現場でラインに立つ若い女子社員。みんなSONYが大好きで、SONYで働くことを誇りに思う人たちばかりである。

とくに印象に残っているのは、美濃加茂工場でラインに立って働いていた女子社員たちである。中には、やんちゃな人がいて、工場長や男性幹部の手を焼かせたようだが、その彼女が現場で中心的な存在になって働いていると工場長たちは目を細めて話してくれた。

派遣や請負のほとんどがブラジルからの日系人。顔は日本人でも思考はブラジル人だ。そんな彼らを上手にハンドルし、モチベーションを高めさせていたのは彼女たちである。「お金と割り切って働いてくれるのが一番いい。そのぶん、ちゃんと仕事を教えられるし、彼らも必死に勉強してくれるから」と私に説明してくれたのは、まだ20代の女性社員だった。

そんな彼女たちに、なぜ美濃加茂で働こうと思ったのかと尋ねると、異口同音に「地元には仕事がなく、両親の面倒を見なければいけないので他県には行けない。でもソニーは、いい会社だし、給料も福利厚生もきちんとしている。ソニーが工場を作ってくれて本当に嬉しい」と目を輝かせて話したものだ。中には、家庭の事情で高校中退を余儀なくされた女性社員もいたが、彼女の場合、工場に付設された高校に通い、高卒の免状をもらえたという。美濃加茂工場に入って、高校も卒業できたと嬉しそうだった。

企業の社会貢献という言葉は、いまや使い古されたイクスキューズにしか感じられなくなっていた私だったが、地元の雇用を促進し、地元とともに成長し地元の人たちから感謝される、これこそ地に足が付いた「企業貢献」ではないかと思った。「赤ちゃんが生まれても、仕事を続けられる環境が嬉しい」とソニーに感謝する女性社員もいた。

美濃加茂工場は、ソニーの担当者によれば、小さな製品の組み立てが上手なところで、優秀な女性社員はマレーシアなど海外の工場へ現地社員の研修や講習にも出かけているという。ソニー自慢の精鋭部隊といったところのようだった。

その美濃加茂工場が閉鎖されるというニュースが流れたとき、すぐに彼女たちの顔が浮かんだ。工場長や工場を支えていた幹部社員の方々の苦悩する姿が偲ばれた。解雇されたあと、地元を離れられない彼女たちはどうなるのだろうか。彼女達と一緒に美濃加茂工場を優れた生産工場にしてきた幹部の人たちはどうなるのだろう。異動できる人は限られているだろうから、早期退職制度かなんかでソニーを辞めざるを得なくなるのだろうなと心配になった。

その夜、取材した当時の美濃加茂工場が夢に出てきた。
怒りに燃える自分がそこに立っていた。
マネジメントの失策、無能な彼らの尻ぬぐいをどうして一生懸命働いている社員がさせられるのか。
長年、ソニー構造改革の名の下、資産売却と人員削減で業績の数字のつじつま合わせをやってきた。本質的な問題解決に取り組むことなく、社員の「血」を代償に延命を図っただけにすぎない。それが正しいと思っているから反省をしない、反省をしないから同じ過ちを繰り返す。

それでも確かなことは、絶対にソニーの経営陣は経営責任をとらない、ということである。
今年も5000人の人員削減を行う。そうした事態になるまで放置してきた責任は、誰も問われることないし、問う人もいない。責任を取らずに権限を振るうだけなのだから、ソニーの経営陣ほど気楽商売はない。

最大限の責任を負うから最大限の権力が付与されている。
最大限の責任を取るから、最大限の権力を振るう。

資本主義社会の定理と思ってきたが、どうやら違うようだ。

今年は何回、夢を見ることになるだろうか。