大阪・隆祥館書店さんのHP

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告知

告知4:
隆祥館さんでのトークライブが近づいてきました。
本書の執筆動機を「おわりにかえて」の中で書いております。
その中から一部を抜粋したものが下記です。

「戦争体験と経営者」というテーマは、知人のジャーナリストとの雑談から生まれた。私が取材で偶然聞いた戦争体験の話をしたとき、強い興味を持ったようだった。

 彼曰く、
「戦争体験者が加齢とともに次々と亡くなられています。日本とアメリカが戦争をしたことを知らない若い世代が普通にいます。戦争を知らない政治家や経営者などが『戦争も辞さず』みたいな勇ましい発言を繰り返ている現在、戦争が私たち国民にいったい何をもたらしたのか、戦争の悲惨さを知らしめる必要があるのではないでしょうか。そんな状況だからこそ、戦争体験者から直接聞いた話を、いま出来るだけ多くの人に伝えることは大切なのではないでしょうか」

 まさに正論だとは思ったものの、なかなかその気になれなかった。
 というのも、やれ「反戦だ」、やれ「平和だ」といったイデオロギー的なものが何よりも苦手だったからだ。イデオロギーに染まると、得てして視野が狭くなり、物事の本質が見えにくくなる。プロパガンダならともかく「作品」としては成立しないのではと思えて仕方がなかった。

 ところが、世の中がきな臭くなってくると、そうも言っていられなくなる。
 国会で共謀罪や司法取引を認める刑法改正など問題法案が次々と、与党の強引な手法で成立していく様を見せつけられるつれ、やはり自分でも出来ることは何でもしなければと思い直すようになったのだ。

大阪・隆祥館書店さんでのトークイベント

告知3: 7月29日の大阪・隆祥館書店での「戦争体験と経営者」(岩波新書)の発刊記念イベントのチラシができました。関西方面にお住みの方は、ご参加いただければ嬉しいです。私も、この機会に読者の「声」をお伺いするとともに、今後は直接、読者との触れ合いを増やしていきたいと思っております。

よろしくお願いいたします。

2018/7/29 『戦争体験と経営者』岩波書店 発刊記念イベント 立石泰則さんによるト−クライブ  司会・聞き手:二村知子 企画No.199
********** 隆祥館書店からのお知らせ **********  かつて自民党の最大派閥を率い...
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新刊書「戦争体験と経営者」(岩波新書)

7月20日発売の『戦争体験と経営者』(岩波新書)の目次を紹介したいと思います。

はじめに
執筆に至った経緯と私の思いを書いています。

第1章 戦地に赴くということ
    中内 功(ダイエー創業者)
    堤 清二(セゾングループ元代表

第2章 日本軍は兵士の命を軽く扱う
    加藤 馨(ケーズデンキ創業者)

第3章 戦友の死が与えた「生かされている」人生
    塚本幸一(ワコール創業者)
    中村伊一(ワコール元副社長、塚本の同級生)
    川口郁雄(ワコール元副社長、塚本の同級生)

第4章 終わらない戦争
    山下俊彦(松下電器元社長)
    その他、商社などの経営幹部

おわりにかえて
私が人を評価するさい、何を尺度にしているかを「追記」として説明しています。その箇所を添付します。

追記

 編集部から、第3章で取り上げたワコール創業者の塚本幸一氏が日本会議の初代会長を務めていたことを指摘された。要するに、本書の趣旨に相応しい人物なのか疑義を呈されたわけである。

 私は人を評価するさい、イデオロギーや思想信条、あるいはどのような組織に所属していたかなどをほとんど考慮しない。私にとって、重要なのは「何を行い、何を行わなかったか」という行動だけである。

 塚本氏が日本会議の会長を努めたのは、1997年からの1年間である。私が取材を始めたのは1990年頃から1995年頃までなので、塚本氏との取材で日本会議が話題にのぼることはなかった。しかも現在のように、日本会議が「政治的な」側面を強く持つ組織であることはまだ周知の事実でなかった。

 もともと塚本氏が神がかり的な一面を持っていること、宗教に深い関心を持っていることは本人も認めるところだし、周囲の人たちにも隠すようなことはなかった。私にも、科学では解明できない「何か」を探求するため、自分と同じような神がかり的な面を持つ数人と集まって定期的な会合を持っていると話している。そのとき私は、「生かされている」人生の意味を塚本氏は問い続けているのだなと思った。

 その後、神道や仏教系の人たちの集まりである「日本を守る会」が日本会議に統合され、初代議長に就任したことを知ったとき、あくまでも宗教的な色彩の延長線上の判断ではないかと推測した。すでに故人なので、日本会議の会長に就任した経緯等を改めて訊くことは叶わない。

 いずれにしても、塚本氏が日本会議の会長であることで、私の彼に対する評価が変わることはない。塚本氏の戦争体験も女性を美しくしたいと願って始めたファンデーション事業も、そしてワコールで築いた「信頼の経営」も事実だからだ。

鹿砦社代表、松岡氏のFBより

私たちがこの2年間支援してきた「カウンター大学院生M君リンチ事件」ですが、去る3月19日の一審大阪地裁判決に対してM君は大阪高裁に控訴しました。これについて被害者のM君が昨日、これまでの「総括」、反省、そして控訴審への決意表明をツイッターで行いましたので、以下再録いたします。再録にあたってはFB用に並べ替え一つの文章にしました。勝訴の部分があるとはいえ不満の残る判決ですので、控訴し完全勝訴に向け闘いたいと思います。こんな判決を残していては、この国の社会にあっても社会運動や市民運動にあっても悪影響を及ぼします。心ある皆様方の圧倒的なご支援をお願い申し上げます。(松岡)


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控訴にあたり、私なりにここまでの総括を述べさせていただきます。スポーツの試合等でもそうですが、「総括」とは「ここまで何ができたのか」を簡潔に整理することであると考えます。

まず、原審判決ですが、前向きに評価すべき点は、伊藤大介氏の民事賠償責任を認めた点です。カウンターのスポンサーであり、内部で強い影響力を持つ伊藤氏がたとえ直接に手を出していなくても暴行傷害への関与(判決では「幇助」)があったと考えるのは自然なことです。
また、伊藤大介氏、松本英一氏 @QuamzinANTIFA の反訴も全面的に棄却されています。

一方原審は、被告らの共謀が認められなかったこと、特にその場を支配し暴力の口火を切った李信恵氏 @rinda0818 の民事賠償責任を認めなかった点で不当極まる判決と考えています。
原審は李信恵氏 @rinda0818 が私に掴みかかったことまでは認定していながら、これが人体への有形力の行使であるにもかかわらずその違法性を排除しています。

なお、のりこえねっと @norikoenet 、野間易通氏 @nomacrac 、同氏が代表者の団体C.R.A.C @cracjp 以下、カウンター関係者多数は今回の判決をもって「リンチはなかったとの判決」という宣伝活動をしていますが、虚偽です。判決はそのような事実認定はしていません。

そして、裁判を離れて、もう少し大きい視点での総括を二、三述べさせていただきます。 判決期日の報告集会でも申し上げたことですが、ここまで「できたこと」として特筆すべきことは主として三点あります。

一点目は、伊藤健一郎氏 @itokenichiro 作成の「説明テンプレ」「声掛けリスト」に代表される、カウンター関係者ぐるみ、多数の著名人や団体、弁護士、大学教員、国会議員までもをも巻き込んだ本事件の隠蔽工作を打破したことです。

二点目は、上瀧浩子弁護士 @sanngatuusagino 、(特非)コリアNGOセンターをこの裁判に参加させ、旗色を鮮明にさせたことです。これらの人々は、関西のカウンターを始め、そして腐敗させたという点で黙って逃げることの許されない人々だからです
これらの人々が身近に起きた暴力に対してどのような態度を取ったのかは、将来にわたって記憶されるべきでありましょう。

三点目は、やや個人的なことになりますが、私が関わった「カウンター」そのものに対する反省の機会を得たことです。
今にして振り返れば、端的に言って「カウンター」「しばき隊」と自他称される、2013年からの「反差別運動」は、その最初からして間違いであったと私は考えています。その理由は、安直に暴力的手段(暴言や罵倒も含む)に訴えるべきではなかったという一点に尽きます。
当時は私もまた、このような暴力的手段を称揚してきました。人を罵倒もしました。これらの行状について、改めて深い反省の意を表し、私が傷つけた人々に対しお詫び申し上げるものであります。

彼らは言います。「正義は暴走してもいい」と。正義を意味するjusticeという語は、その語源は「正義」あるいは「法」を意味するラテン語ius(またはjus)です。このiusという語は「神(または皇帝や王)の権威による正義」「力による正義」を意味します。
だからこそiusという語には「法」という意味もあるのであり、現代においても強制力を伴う「司法手続」もまたjusticeなのです。
野間氏 @nomacrac らカウンター関係者が自らを「正義」と標榜するのは、自ら権威や力を持ち、好き放題に批判者、敵対者、要するに「自分たちが気に食わない人たち」を吊し上げたいという、極端に幼稚だが危険な、極めて反社会的な欲望の告白と見なされて当然でしょう。
それは、暴力への卑屈な憧憬であり、私的制裁の賛美に他なりません。これがのさばる社会は、そこにいる全員の不幸であり、社会の崩壊の序曲であると考えます。

改めまして、皆様のここまでのご支援に深く感謝いたします。今般の裁判は、実質的には一つの小さくない社会的勢力を相手にしているのであり、皆様の物心両面でのご支援なくしてここまで戦うことはできませんでした。
本事件については、思想がどうか、民族がどうかなどという事柄は問題ではありません。ご支援くださった方には「右」の方も「左」の方もおられますし、日本人のみならず在日韓人、朝鮮人やその他在日外国人の方も多数ご支援くださっています。

裁判は、必ずしも真実を反映しません。かつてジェローム・フランクが『裁かれる裁判所』において問題提起をした「弁舌さわやかな嘘つきと口下手な正直者を前にして、果たして裁判官は正しく事実認定をすることができるか?」という命題は、現代日本においてもなお残っているのだと思います。
私の経験した真実を、裁判官の事実認定に反映させられるよう、控訴審でも主張立証を尽くします。私は「正義」だの「差別」だの「マイノリティ」だのを盾にとって横暴の限りを尽くし、人権の蹂躙を賛美、称揚する勢力には、絶対に屈服しません。
弁護団、支援会一丸となり、皆様の良心と常識とともに戦います。引き続き、よろしくお願い申し上げます。

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M君と彼の裁判を支援する鹿砦社の活動を全面的に支持します。
そういう意味では、いわゆる「しばき隊リンチ事件」の真相の解明と、リンチ事件の隠蔽に手を貸してきた学者、弁護士、ジャーナリストなどのマスコミ関係者、そして反差別団体のいかがわしさも裁かれるべきだと思います。

日本の家電産業の消滅

ベランダから見える富士山

かつて世界の家電市場を席巻した日本の家電メーカーが、消滅しつつある。
三洋電機、日本ビクター、シャープ、そして東芝。経営破綻するか、他社から買収されるか、事業を売却するか、その対応はさまざまだが、要するに「弱体化」の結果である。

いや家電産業だけではない。
日本の産業は、「小さな物」消えていっている。
たとえば、半導体、PC、テレビ(家電)、そしてクルマの番が来る日も近い。

欧米から「もの作り」がなくなり、いまは日本が同じ運命を辿りつつある。
欧州は金融、アメリカはIT・通信へのシフトに成功したが、はたして日本に行く場所があるのだろうか。

「松下中興の祖」山下俊彦氏にインタビューしたあと、雑談になったことがあるが、そのとき、問わず語りに話されたことが忘れられない。

「松下も大会社になり、有名になると頭のいい人が入ってくるようになった。頭がいいから本社に配属される。彼らも有能であるところを見せたい、仕事をしているところをアピールしようとして現場に口出しをするようになる。現場は本社から言われたからと最優先で取り組むが、それで失敗しても本社にいる彼らが責任を問われることも、取るこもない。責任は現場に押しつけられる。もし成功すれば、果実は本社の彼らのものになる。それはおかしいから、口出しすれば、責任をとらせようとしても、うまく逃げる。頭がいいぶん、悪知恵が働くんだよなあ。困ったものだ。そんなことを許していたら、松下といえども潰れてしまう」

彼の予言は見事に的中し、松下電器は1兆5000億円を超える赤字を抱えるまでに凋落する。そして再建に着手するものの、かつて「家電の王者」と畏怖された面影なく、いまでは脱家電がスローガン。

結局、「人」がすべてなのだなと思う。
無能で無責任な人物が社長になると、どんな優良な企業であっても簡単に凋落してしまうものなのだ。

最大の権限を振るう者は最大限の責任を負う、が企業社会の原則だと思ってきたが、それがまったくウソだと分かるのにずいぶん時間がかかったなと自己嫌悪に陥る。

そんなことを考えて、今日も一日が終わろうとしている。

戦争は、人間から「人間性」を奪う

今年の夏はNHKスペシャルが「731部隊」など日本軍の戦争犯罪や、戦争が国民にもたらす悲惨な現実を特集した番組を連日放送した。日本軍の「独走」とはいえ、やはり日本人として自分の国の戦争犯罪をドキュメンタリー番組で明らかにされるのはつらいものがある。

もちろん、2度と戦争を起こしてはならないと改めて思うし、戦争は勝っても負けても私たち庶民には多大な犠牲を強いるものだ。戦争で金儲けを企むのは一部の人間だし、彼らは戦争に負けても新たな金儲けのタネを容易に見つけ出す。だから、「悲惨な」戦争の現実とは無縁である。

その悔しさを、いつも夏には思いだしてしまう。

「戦争」が私たち庶民にどれほど「非人間的」な行為を迫るかは、NHKスペシャルでも具体的なケースをあげてその実態が放送された。ただ私には、戦争やその被害について企画・取材した経験はない。しかし別件の取材で、当事者たちから偶然、聴かされた話は少なくない。

その中でも、思わず「これほど非人間的な行為をさせたのが戦争なのか」と信じられなかったのが、満州からの引き揚げの途中で父親がわが赤子を殺したケースである。

その話を聞いたのは、盆を控えた暑い日だった。ある企業取材のため役員OBの自宅を訪れたのだが、インタビューは長時間に及び、終わった時には外はすっかり暗くなっていた。そのあと雑談になり、しばらく四方山話に花が咲いたあと、突然彼は、満州からの引き揚げの体験を語り出したのだった。

関東軍の将校や政府関係者およびその家族は、日本の敗戦およびソ連軍の侵攻の情報をいち早く入手すると満州から速やかに立ち去っていた。置き去りにされたのは、日本軍の兵士と入植していた満蒙開拓団の農民たちなどであった。

置き去りにされた人々は、それぞれグループを作って満州を南下して日本本土を目指した。彼は当時、10代半ばで親戚の人たちに同行して満州にきていた。戦争に敗れた日本の国民にとって、「満州からの南下」はいわば「敵陣」の中を自分たちを守ってくれる軍隊もなく、無防備のままの「逃避行」であった。

そのため行動は人目のつく昼間を避け、夜に限られた。それでも現地住民の攻撃を避けるため、声を殺し息を潜めて見知らぬ道を逃げるのは、相当な緊張感が続いたことだろう。とくに、赤子や幼子を抱えていたら、その緊張感は耐えがたいものであったろう。

しかし赤ちゃんに「泣くな、静かにしろ」、あるいは両親に「泣かせるな、静かにさせろ」というのは無理難題というものだ。もともと赤ちゃんは「泣くのが仕事」なのに、逃避行の間、満足な食事も与えられず、おしめの取り替えも十分でない以上、ぐずり、泣くのは当然である。

母親がいかにあやそうとも、空腹が癒やされることもなければ、濡れたおしめが取り替えられなければ、その不満を訴えるしかない。

そんなことは、行動を共にする引き揚げ者の誰にでも分かっていることだ。しかしそのままにしておけば、自分たちの命が危うくなる。出来ないことでもあっても、「どうにかしろ」という有言無言の周囲の圧力が赤ちゃんの両親や親族など関係者にかかったことは想像するに難くない。

そのような緊張状態に耐えかねたのか、ある夜、赤ちゃんの父親が立ち上がり、「オレは、いまから鬼になる。鬼になるんだ」と言うと、ぐずる赤ちゃんを抱えて茂み入っていった、という。

しばらくすると、目を真っ赤に腫らした父親が茂みから出てきた。
そして「オレはもう人間じゃない。人間じゃないんだ。鬼だ」と叫んで、その場にうずくまって動けなくなってしまった、という。

役員OBは話しているうちに身体がぶるぶる振るえだし、声も上ずり、気づくと目から涙が溢れていた。

「あの時の場面が目に焼きついて、忘れたことはない。この季節になると、夢の中に出てくるんだ。夜中に飛び起きたことは数え切れない。あれは、人間のすることじゃない。戦争は、人間をそこまで追い詰めるんだ。君ね、戦争は絶対にしてはいけない。一般庶民には、何もいいことないんだから」

その時は突然のことなので、何が起きたのかよく分からなかった。
しかし実際に我が子を持つ身になって、自分の子供、それも赤ちゃんを殺せるわけはないし、殺せと迫られることなど想像もできなかった。戦争とは、人間からもっとも大事な「人間性」奪う化け物なのだとつくづく思った。

テレビなどメディアで威勢のいいことを言っている政治家でも経営者でも、また学者やメディア関係者、あるいは政治集団(組織)など、自分では戦争に行かないし、もし行ったとしても一番先に逃げる連中である。信用してはいけない人間なのだが、国民の多くが信じているところに本当の悲劇があるのかも知れない。