消えゆく「SONY村」(東京新聞)を考える

昨日(7月5日)、ソニー本社会議場で行われたソニーフェア(首都圏の合同展示会)を見学し、現場の「元気」をもらって帰宅。すると、家内が「これ見て、いったいどうなってるの」と東京新聞夕刊を持って、私を迎えた。

東京新聞夕刊の一面に「消えゆく「SONY村」」という大見出しのもと、旧本社を含めソニーが所有したビル(資産)を売却していった経過が図ととともに一覧化してあった。「百聞は一見にしかず」の言葉通り、創業以来の先人たちの努力によってもたらされた財産が、愚かな後継者たちによって食い尽くされていった樣が見て取れた。

夕刊とはいえ、一面に取り上げられた「SONY村」の過疎化は世界有数のAVメーカーとして確固たる地位を築いたソニーが、いまやエレクトロニクスの本流から遙か遠くにいること、そしてもはや戻ることがないことを明示しているなあと思った。

ソニーは、何の会社なのか。
東京新聞は「ゲーム、映像、携帯電話の3事業に力を入れ、復活を目指している」と書いているが、エレクトロニクス・メーカーとしての復活を指摘してないところが悲しい。外から見れば、そうなるのだろうな。

ストリンガー・中鉢体制が誕生した2005年、「エレキの復活なくしてソニーの復活なし」「テレビの復活なくしてエレキの復活なし」をスローガンに構造改革と成長戦略の構築に乗り出した。以後、「エレキの復活」の掛け声は、ソニーのトップマネジメントから「耳タコ」に聞かされてきた。しかしいま、ふと気づいたのだが、私たちが考える「エレキ」とソニーのトップマネジメントが目指す「エレキの復活」の内容が違うなと。

私たちがイメージするソニーのエレキは、AV(オーディオ・ビジュアル)製品・機器である。しかし現在のソニーのトップマネジメントのそれは、プレステ(ゲーム)であり、一眼デジカメのαなどのカメラ群(映像)であり、スマホタブレットなどのモバイル(携帯電話)である。すべてソニーが最初に開発したり開拓した市場の製品ではない。つまり、フォロワーばかりなのである。

そこに活路を見出そうとするソニーのトップマネジメントは、もっとも「ソニーらしさ」から遠い存在ではないか。そんな思いを強くした。しかしそういう時代を、ソニーも迎えていることを東京新聞夕刊一面は伝えているのだと思った。

いまの路線の延長戦上に、ソニーの輝かしい未来が見えない私は「旧い世代」に所属する人間だからだろう。それでも、ソニー社員が毎日を活き活きと働き、充実した日々を送れるのなら、それもひとつの道なのかも知れないと思う。古くからのソニーファンには寂しく辛いことではあるが、当分は耐えるしかないと覚悟する。