絶望の国

以前、国内外の鉄道や地下鉄の車両を建造する企業の工場を見学したことがある。そのとき、アメリカの地下鉄の車両がとにかくガタイは頑丈、重い鉄鋼類をたくさん使われているように見えたのに対し、日本のそれは車体は洒落たデザインとともに軽く、スピードが出そうな作りだった。あまりの違いに思わず、「なぜか」と尋ねた。
すると「安全」に対する考えの違いだと教えられた。

アメリカは最初から「事故は起こるものだ」という前提に立ち、事故が起きたとき、最小限の被害で済むような設計・建造が求められる。そのため、スピードが出るような軽い車体や洒落たデザインなどはほとんど重要視されない。他方、日本は「事故は起こらない」という安全神話が根強く、たとえ起こっても限りなくゼロに近い確率だと信じているため、注文もスピードを求めて軽い車体、見た目のデザインが重要視され強く求められるという。

だからいったん事故が起これば、日本では大惨事になるのに対し、アメリカの場合は限定的なものになるのだと。その証拠に列車のつなぎ目や車体の外側の頑強な作りを見せられた。「なるほどなあ」と得心した。

それゆえ、日本では原発の専門家と言われる学者が、再稼働してから避難計画を立てるのが合理的などと主張できるのだろう。安全対策が二の次にされたから、福島原発の大惨事は起こったという反省は微塵もない。この国は滅びるしか、世界の役に立つことはなくなったのかも知れない。

太平洋の海を汚染し続けているのに、多くの日本人が見て見ぬ振りをしているように思えてならない。福島原発事故が起きた年、政府と東電はメディアに対し、毎週一回「政府東電合同記者会見」を開いていた。そのとき、日本政府はなぜ福島沖、つまり海水の汚染調査をしないのかとの質問が繰り返しなされたが、翌年の3月に有識者を集め検討して決めると説明するだけで何ら有効な手をうとうとしなかった。

8月の記者会見で、ロシアから帰国したばかりというNHKの記者がロシアを始め中国、米国はすでに日本近海の汚染調査を終えている。その調査結果を利用する考えはないのか、また日本には海洋大学など海底を含め海洋調査をする専門の調査船を持つ海洋学部があるが、そこに調査を依頼する意志はないのかとも質問した。

政府の回答は「それも含めて来年3月に行う予定の有識者会議の結論をもって検討したい」というものだった。事故を起こした国が、ここまで海洋調査に消極的なことに疑問というか不信感を持ったが、あとで分かったのは、事故以後、ずっと汚染水がダダ漏れだったことだ。

こんな杜撰な事故後の対策しかとれない国が、安全対策に鈍感な政府が再稼働に一直線。「あってはならないこと」が日常茶飯事のように存在するようになった国、ニッポンに希望を感じられなくなりつつある自分に失望する日々だ。