私の最新刊『日本企業が社員に「希望」を与えた時代』(七つ森書館)が発売日を迎えました

4月に入ってから就活が本格化し、街中でもそれらしき一群と遭遇することが多くなりました。みなさん、慣れないスーツ姿と緊張感のある表情をされています。個人的に派、みなさんが希望の就職先から内定をもらえることを祈念しております。

その一方で、就職先、つまり企業を選ぶさい、上場企業だとか有名、大手企業だといった表面的な「価値」を指標とするのではなく、もっと他の選択肢をもったほうがいいのではないかと思うことが、企業取材を続けていると出てきます。

そのひとつが、自分がどのような人生を送りたいと考えているのか、あるいはどんな暮らしをしたいと思っているのか、その考えの延長線上に希望する会社や職場を選ぶというのもあるのではないでしょうか。

そうした視点が執筆の動機のひとつになったものです。
多くの就活生および親御さんに一読していただきたいと思っています。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4822817741/ref=pe_1895522_268472092_em_1p_0_lm

自分の目で確かめたい。転載→「共謀罪」の成立を目指す日本政府に対する警鐘

2017.5.20
国連プライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏による日本政府に対する質問状について(解説)
           
             海渡 雄一(共謀罪NO!実行委員会)


国連プライバシー権に関する特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏が、5月18日、共謀罪テロ等準備罪)に関する法案はプライバシー権表現の自由を制約するおそれがあるとして深刻な懸念を表明する書簡を安倍首相宛てに送付し、国連のウェブページで公表した。


書簡の全文は次のところで閲覧できる。
http://www.ohchr.org/Documents/Issues/Privacy/OL_JPN.pdf


 書簡では、法案の「計画」や「準備行為」、「組織的犯罪集団」の文言があいまいで、恣意的な適用のおそれがあること、対象となる277の犯罪が広範で、テロリズムや組織犯罪と無関係の犯罪を多く含んでいることを指摘し、いかなる行為が処罰の対象となるかが不明確であり刑罰法規の明確性の原則に照らして問題があるとしている。
 さらに、共謀罪の制定が監視を強めることになることを指摘し、日本の法制度において、プライバシーを守るための法的な仕組み、監視捜査に対する令状主義の強化や、ナショナル・セキュリティのために行われる監視活動を事前に許可するための独立した機関の設置などが想定されていないことを指摘している。また、我が国の裁判所が、警察の捜査に対する監督として十分機能していないとの事実認識を示している。
 そのうえで、政府に対して、法案とその審議に関する情報の提供を求め、さらに要望があれば、国連から法案の改善のために専門家を派遣する用意があることまで表明している。
 日本政府は、この書簡に答えなければならない。
 また、日本政府は、これまで共謀罪法案を制定する根拠として国連越境組織犯罪防止条約の批准のためとしてきた。同じ国連の人権理事会が選任した専門家から、人権高等弁務官事務所を介して、国会審議中の法案について、疑問が提起され、見直しが促されたことは極めて重要である。
 日本政府は、23日にも衆議院で法案を採決する予定と伝えられるが、まず国連からの質問に答え、協議を開始し、そのため衆議院における法案の採決を棚上げにするべきである。そして、国連との対話を通じて、法案の策定作業を一からやり直すべきである。

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プライバシーに関する権利の国連特別報告者 ジョセフ・ケナタッチ氏
共謀罪法案について安倍内閣総理大臣宛の書簡全体の翻訳


 翻訳担当 弁護士 海渡雄一・木下徹郎・小川隆太郎(質問部分の翻訳で藤本美枝弁護士の要約翻訳を参照した)


 国連人権高等弁務官事務所
 パレスデナシオンズ・1211ジェネバ10、スイス
 TEL:+ 41229179359 / +41229179543・FAX:+4122 917 9008・EMail:
 srprivacy@ohchr.org


プライバシーに関する権利に関する特別報告者のマンデート

参照番号JPN 3/2017

2017年5月18日

内閣総理大臣 閣下


 私は、人権理事会の決議28/16に基づき、プライバシーに関する権利の特別報告者としての私の権限の範囲において、このお手紙を送ります。


 これに関連して、組織犯罪処罰法の一部を改正するために提案された法案、いわゆる「共謀罪」法案に関し入手した情報について、閣下の政府にお伝え申し上げたいと思います。もし法案が法律として採択された場合、法律の広範な適用範囲によって、プライバシーに関する権利と表現の自由への過度の制限につながる可能性があります。


 入手した情報によりますと次の事実が認められます:


 組織的犯罪処罰法の一部を改正する法案、いわゆる共謀罪法案が2017年3月21日に日本政府によって国会に提出されました。


 改正案は、組織的犯罪処罰法第6条(組織的な殺人等の予備)の範囲を大幅に拡大することを提案したとされています。
 手持ちの改正案の翻訳によると、新しい条文は次のようになります:


6条
テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。


安倍晋三首相 閣下
内閣官房、日本政府


 さらにこの改正案によって、「別表4」で新たに277種類の犯罪の共謀罪が処罰の対象に加わることになりました。これほどに法律の重要な部分が別表に委ねられているために、市民や専門家にとって法の適用の実際の範囲を理解することが一層困難であることが懸念がされています。


 加えて、別表4は、森林保護区域内の林業製品の盗難を処罰する森林法第198条や、許可を受けないで重要な文化財を輸出したり破壊したりすることを禁ずる文化財保護法第193条、195条、第196条、著作権侵害を禁ずる著作権法119条など、組織犯罪やテロリズムとは全く関連性のないように見える犯罪に対しても新法が適用されることを認めています。


 新法案は、国内法を「国境を越えた組織犯罪に関する国連条約」に適合させ、テロとの戦いに取り組む国際社会を支援することを目的として提出されたとされます。しかし、この追加立法の適切性と必要性については疑問があります。


 政府は、新法案に基づき捜査される対象は、「テロ集団を含む組織的犯罪集団」が現実的に関与すると予想される犯罪に限定されると主張しています。
 しかし、「組織的犯罪集団」の定義は漠然としており、テロ組織に明らかに限定されているとはいえません。
 新たな法案の適用範囲が広い点に疑問が呈されていることに対して、政府当局は、新たな法案では捜査を開始するための要件として、対象とされた活動の実行が「計画」されるだけでなく、「準備行為」が行われることを要求していると強調しています。
 しかしながら、「計画」の具体的な定義について十分な説明がなく、「準備行為」は法案で禁止される行為の範囲を明確にするにはあまりにも曖昧な概念です。


 これに追加すべき懸念としては、そのような「計画」と「準備行動」の存在と範囲を立証するためには、論理的には、起訴された者に対して、起訴に先立ち相当程度の監視が行われることになると想定されます。
 このような監視の強化が予測されることから、プライバシーと監視に関する日本の法律に定められている保護及び救済の在り方が問題になります。

 NGO、特に国家安全保障に関する機密性の高い分野で活動するNGOの業務に及ぼす法律の潜在的影響についても懸念されています。政府は、法律の適用がこの分野に影響を及ぼすことがないと繰り返しているようです。
 しかし、「組織的犯罪集団」の定義の曖昧さが、例えば国益に反する活動を行っていると考えられるNGOに対する監視などを正当化する口実を作り出す可能性があるとも言われています。


 最後に、法律原案の起草に関する透明性の欠如と、今月中に法案を採択させようとする政府の圧力によって、十分な国民的議論の促進が損なわれているということが報告で強調されています。


 提案された法案は、広範な適用がされる可能性があることから、現状で、また他の法律と組み合わせてプライバシーに関する権利およびその他の基本的な国民の自由の行使に影響を及ぼすという深刻な懸念が示されています。
 とりわけ私は、何が「計画」や「準備行為」を構成するのかという点について曖昧な定義になっていること、および法案別表は明らかにテロリズムや組織犯罪とは無関係な過度に広範な犯罪を含んでいるために法が恣意的に適用される危険を懸念します。


 法的明確性の原則は、刑事的責任が法律の明確かつ正確な規定により限定されなければならないことを求め、もって何が法律で禁止される行為なのかについて合理的に認識できるようにし、不必要に禁止される行為の範囲が広がらないようにしています。現在の「共謀罪法案」は、抽象的かつ主観的な概念が極めて広く解釈され、法的な不透明性をもたらすことから、この原則に適合しているようには見えません。


 プライバシーに関する権利は、この法律の幅広い適用の可能性によって特に影響を受けるように見えます。更なる懸念は、法案を押し通すために早められているとされる立法過程が、人権に悪影響を及ぼす可能性がある点です。立法が急がれることで、この重要な問題についての広範な国民的議論を不当に制限することになります。
 マンデートは、特にプライバシー関連の保護と救済につき、以下の5点に着目します。


1 現時点の法案の分析によれば、新法に抵触する行為の存在を明らかにするためには監視を増強することになる中にあって、適切なプライバシー保護策を新たに導入する具体的条文や規定が新法やこれに付随する措置にはないと考えられます。


2 公開されている情報の範囲では、監視に対する事前の令状主義を強化することも何ら予定されていないようです。


3 国家安全保障を目的として行われる監視活動の実施を事前に許可するための独立した第三者機関を法令に基づき設置することも想定されていないようです。このような重要なチェック機関を設立するかどうかは、監視活動を実施する個別の機関の裁量に委ねられることになると思われます。


4 更に、捜査当局や安全保障機関、諜報機関の活動の監督について懸念があります。すなわちこれらの機関の活動が適法であるか、または必要でも相当でもない手段によりプライバシーに関する権利を侵害する程度についての監督です。この懸念の中には、警察がGPS捜査や電子機器の使用の監視などの捜査のために監視の許可を求めてきた際の裁判所による監督と検証の質という問題が含まれます。


5 嫌疑のかかっている個人の情報を捜索するための令状を警察が求める広範な機会を与えることになることから、新法の適用はプライバシーに関する権利に悪影響を及ぼすことが特に懸念されます。入手した情報によると、日本の裁判所はこれまで極めて容易に令状を発付するようです。2015年に行われた通信傍受令状請求のほとんどが認められたようです(数字によれば、却下された令状請求はわずか3%以下に留まります。)


 私は、提案されている法改正及びその潜在的な日本におけるプライバシーに関する権利への影響に関する情報の正確性について早まった判断をするつもりはありません。ただ、閣下の政府に対しては、日本が1978年に批准した自由権規約(ICCPR)17条1項によって保障されているプライバシーに関する権利に関して国家が負っている義務を指摘させてください。
 自由権規約第17条第1項は、とりわけ個人のプライバシーと通信に関する恣意的または違法な干渉から保護される権利を認め、誰もがそのような干渉から保護される権利を有することを規定しています。
 さらに、国連総会決議A/RES/71/199も指摘いたします。そこでは「公共の安全に関する懸念は、機密情報の収集と保護を正当化するかもしれないが、国家は、国際人権法に基づいて負う義務の完全な履行を確保しなければならない」とされています。


 人権理事会から与えられた権限のもと、私は担当事件の全てについて事実を解明する職責を有しております。つきましては、以下の諸点につき回答いただけますと幸いです。


1.上記の各主張の正確性に関して、追加情報および/または見解をお聞かせください。


2.「組織犯罪の処罰及び犯罪収入の管理に関する法律」の改正法案の審議状況について情報を提供して下さい。


3.国際人権法の規範および基準と法案との整合性に関して情報を提供してください。


4.法案の審議に関して公的な意見参加の機会について、市民社会の代表者が法案を検討し意見を述べる機会があるかどうかを含め、その詳細を提供してください。


 要請があれば、国際法秩序と適合するように、日本の現在審議中の法案及びその他の既存の法律を改善するために、日本政府を支援するための専門知識と助言を提供することを慎んでお請け致します。


 最後に、法案に関して既に立法過程が相当進んでいることに照らして、これは即時の公衆の注意を必要とする事項だと考えます。したがって、閣下の政府に対し、この書簡が一般に公開され、プライバシーに関する権利の特別報告者のマンデートのウェブサイトに掲載されること、また私の懸念を説明し、問題となっている点を明らかにするために閣下の政府と連絡を取ってきたことを明らかにするプレスリリースを準備していますことをお知らせいたします。


 閣下の政府の回答も、上記ウェブサイトに掲載され、人権理事会の検討のために提出される報告書に掲載いたします。


閣下に最大の敬意を表します。


ジョセフ・ケナタッチ
プライバシーに関する権利の特別報告者

『日本企業が社員に「希望」を与えた時代』(七つ森書館)を上梓した理由

5月22日に『日本企業が「希望」を与えた時代』を上梓する。
この作品は、いままで私が書いてきたテーマ設定や執筆の経緯が少し違う。というか、初めての経験といってもいい。そこで、その経緯と私の意図を少し説明をしておきたいと思う。
それまでのテーマ(企画)は、取材を進める過程で出てきた疑問点や問題点を一度集め、そこから共通項を抜き出し、体系づけるところから設定してきた。とくに、キーワードとなる疑問を見出すことに腐心した。たとえば、講談社ノンフィクション賞を受賞した『覇者の誤算 日米コンピュータ戦争の40年』(日本経済新聞社)では、私の処女作『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』(文藝春秋)の取材過程で出てきたひとつの疑問、「なぜ日本市場だけが、コンピュータ業界のガリバーと呼ばれ、世界市場の70%以上のシェアを持つIBMの支配から逃れることができたのか」、というものだ。つまり日本のコンピュータ市場では、IBMのシェアはトップであっても、50%以下であった。それもやがて、国産メーカーの富士通に首位の座を奪われる。
当時、ガリバー・IBMに対し、「モスキート(蚊)」と揶揄されるほど小さな国産メーカーだったのに、どうして富士通NECなどはIBMは立ち向かうことを選び、そして勝つことができたのか。そのひとつの疑問が、『覇者の誤算』を私に書かせる理由になったものである。
しかし今回の『日本企業……』は、そうした疑問から生まれたものではない。
偶然知り合った大学を卒業して3年目を迎えた青年が、いまも就職活動をしているという。理由を訊くと、既卒3年は新卒と同じ扱いするように政府から通達があったので、3年間は頑張ろうと思っているという。では、実際はどうなのか、と改めて訊ねると、「僕が甘かったのです」といい、「新卒ブランドがいかに強いかを教えられました。既卒3年を新卒扱いするなんてウソでした」と諦め顔で話してくれた。
東京六大学のひとつの私大出身の彼は、一流企業や有望な企業の片っ端からエントリーしたものの、合格することはなかった。彼が大好きな企業のひとつにソニーがあった。そこで感想を尋ねると、「ソニーは学歴無用論や出る杭を求む、などで有名な会社ですが、実際は学歴重視でしたし、杭は杭でも打ちやすい杭を求めていると思いました。ソニー限らず企業は多様な人材を求めるといいつつも、実際は黙って言う通りになる人材を求めているのだなと思いました」というものだった。
正直なところ、ちょっとショックだった。
そこで「平均的な」大学の「平均的な」学生 が就活を通じて、現実の企業の姿をどう見たのか、そして企業が求める人材とはどのような就活生だと感じたのかを知りたいと思った。企業取材が30年以上にもなる私にとって、結局、企業の興隆は「人」によって決まる場面に幾度となく立ち会ってきたからである。
いろんな就活生がいたし、置かれている状況も様々だった。
しかしひとつだけ共通する問題意識、というか彼らの不満があった。それは就活を通じて企業(面接などの担当者)から自分たちは正当な評価を受けなかったという不信感である。合格しなかったからとか、自分の能力を認めなかったということではなく、異口同音に「ひとりの人間」として扱ってくれなかったというものである。ある就活生は「部品か、駒のように扱われた気がする」と憤りを口にしたほどだ。
たしかに、いまの企業(経営者)は業績不振や何か問題が起これば、ただちに「構造改革」を断行しましたと自慢気に発表する。自分たち経営側の不手際や失敗の責任を負うことなく、社員に対してクビ切りという形で済ませることが多い。しかも社員を「コスト」としか考えないから、固定費の大部分を占める人件費の削減に安易に走る。対象となるのは年齢と勤務年数である。給料の高い社員から辞めさせようとするのだ。
しかしその社員が一人前になるまで、どれだけ投資したかを忘れている。そのリターンをとることなど考えはしない。そのため、キーパーソンと呼ばれる人材まで流出し、韓国・台湾、中国企業は容易く優秀な人材を手にすることになる。その結果は、日本の家電産業が崩壊の道を辿っていることからも分かる。
どうして、そんな自滅行為をするのか、ずっと理解できなかった。
そこで私は、日本企業の経営者、経営手法がいつから変質したのか、どのような過程を経ていまのような体たらくな状態になってしまったのかを遡って検証してみたいと思った。
社員を「ひとりの人間」として扱い、彼らの才能を引き出すことで企業が輝いた時代があったはずだと思い、それがなぜ可能だったのか、ももう一度考えてみたいと思ったのである。
あらかじめ決まったテーマがあったのではなく、ささやかな経験から疑問を生じ、それを見直す過程で自分が書かなければというモチベーションに導かれて、今回の作品が完成したのである。途中、体調を崩し、数ヶ月にわたって1行も執筆できない時もあったが、どうしても「いま」書かなければ、必ず後悔すると思いが私を突き起こし、なんとか脱稿することができた。
書き終えて思ったことは、いまの学生は覇気がないとか草食系だとか揶揄する前に、自分の姿を鏡に映して見たらと思った企業の幹部や役員、社長などの多さに気づいたことである。あまりに就活生が不憫でならなかったので、普通は取材対象者と距離を置くようにしているが、今回初めてその禁を破って、彼らを大人と認め、私が見てきた企業内部の実態を話し、「会社は、何かあっても君たちを守ってくれない」ことを覚えておくようにお願いした。そのうえで、就職先は自分の生き方、どんな人生を送りたいと考えているか、その延長線上に選ぶべきであって、一流企業だとか有名企業だとか大手企業だとか、そんな見かけで選ぶと後悔することなると例を挙げて教えた。
いままでの作品と比べて、少し作風は違うが、いまの時代には必要なのかも知れないと思い、そのまま上梓することにした。だから、企業の人よりも就活生や大学生に一番読んで糒と思っている。
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%8C%E7%A4%BE%E5%93%A1%E3%81%AB-%E5%B8%8C%E6%9C%9B-%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%81%9F%E6%99%82%E4%BB%A3-%E7%AB%8B%E7%9F%B3-%E6%B3%B0%E5%89%87/dp/4822817741/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1494525295&sr=1-1

自動運転車に「クルマ」の未来はあるのか

私のメルマガ「企業は人なり」(第34号)の今年最後の配信を、昨日、30日に行いました。
今回は珍しく自動車の未来について触れました。

今年の9月、IT企業の雄であるアップルとグーグルの2社が「自動運転車」の開発から撤退することが明らかになりました。とくにグーグルは、早くから自動運転車の開発に取り組み、自動車メーカーに先んじていたイメージがあったので、私も少し驚きました。

実際、グーグルは、いわゆる「グーグルカー」を試作し、記者発表まで行っています。そのグーグルにいったい何が起きたのか。撤退の原因については、すでにメディアでいろんな指摘がなされていますので、自動車産業に不慣れな私が改めて分析する必要は感じませんでしたので踏み込みませんでした。

ただ日本が先進工業国であるとするなら、先進工業国のメーカーの研究開発はどうあるべきかという視点で、「自動運転車」について考えてみました。

自動車メーカー各社では、それぞれ取り組みを進め過熱気味になっていますが、果たして「自動運転車はクルマの未来になるのか」というのが私の疑問です。一読して感想をいただければ、幸いです。

今年1月末から始めたメルマガですが、なんとか1周年を迎えることが出来そうです。来年は「ストーリー性のある企業物語」を連載する予定です。

第1回は「富士通」を予定しています。
電電(現、NTT)ファミリーという下請け会社から世界的なコンピューターメーカー、さらに総合エレクトロニクスメーカーへ成長する過程には、「個人」を活かすために個人の都合に会社の規則を合わせるというトップの決断があったこと、そして企業が変わるには会社の有り様を否定する優秀な個人が必要であることを書きます。

本当に「会社が変わる」ためには、個人が活かされることが必要不可欠なのです。そのことを、「事実」として書きたいと考えています。

来年もよろしくお願いいたします。

私のメルマガ→http://www.mag2.com/m/0001671278.html

富士山の雄姿を眺める日々

朝5時半に起床し、久しぶりに早朝散歩。
途中でタバコを買ってぶらぶら歩くと少し冷たい風が心地よい。
少し明らんだ空を見上げながら歩くと、いままで見えなかった風景が目に入ってくる。

帰宅後、いつものように執筆に取りかかる。
疲れると、椅子を回してベランダ越しに富士山の雄姿を見る。

今朝の富士山は椅子に座ったまま、シャッターを切りました。
いつもこんな感じで、富士山を見ています。


10時を過ぎると雲が出てきて、富士山を隠してしまいます。

リアルな映像とは、価値ある映像とは

私が執筆する部屋のベランダ越しに富士山が見える。

毎日、富士山の雄姿を見ていると、刻々とその姿を変えているのがわかって興味深い。
同じ白い雪をかぶった姿でも、早朝、朝、昼、午後では光りのあたり具合でまったく違うからだ。多様な「白さ」とともに、富士山の雄大さも微妙に違って見える。それが、とても面白くて長時間眺めていても、まったく飽きない。

リアル(自然)なものにこそ、一番価値があるのだなと感じさせられる毎日である。
やれ8Kだ、10Kだと、HDRだと騒いだところで所詮映し出される映像が劣化したものであることに代わりはない。

リアルに近づくには、高解像度(高精細)だけでなく臨場感(奥行き感)が欠かせない。なのに、殆どの家電メーカーはテレビの画質の高解像度と色調に走る。技術力のなさを白状しているようなものだ。

富士山の雄姿を見ていると、大画面によるダイナミズムはテレビではなくプロジェクターによって達成されるのだろうなと思う。しかしそのプロジェクターが、テレビ以上に心許ないのが現実である。

そのうち中国メーカーが、「あっ」と驚かせるようなテレビやプロジェクターを開発して私たちの目の前に突きつける日がくるのではないかと思う。

最近はどうかよく知らないが、以前のように中韓のテレビには映像の技術では負けていない。負けたのはデザインや価格だといまも本気で日本メーカーの経営首脳が思っているのなら救いようがない。もっと現実を認め、そこからスタートして欲しいと思う。

銀座のオアシス 屋上ギャラリー「枝香庵」

先日、銀座の小さな画廊「枝香庵」で開催されていた絵画展に行ってきました。
ここ最近、仕事部屋にこもっての執筆が続いていたので、自分へのご褒美のつもりでオープンと同時に入店しました。

枝香庵は、ビルの小さな一室と屋上を展示場にしたギャラリーです。
この小さな画廊は、まだ無名に近い画家や駆け出しの人に発表の場を与えてくれる数少ない、貴重な画廊です。

枝香庵のオーナーは、発表のあてのないまま創作活動を続ける若い画家たちを、いつも熱心に誠意を持って応援してくれています。

たとえば、受付嬢をしながら絵を描き続ける若い女性など、創作活動だけでは生活していけない無名の画家たちを励まし、暖かいサポートを続けられています。

そうした若い画家たちの描く作品は、たとえ技術が未熟であってもその絵には「希望」が溢れ、鑑賞する人たちを勇気づけてくれます。

私も「元気」をもらっているひとりです。

出版のあてのないまま、どうしても書きたくて後先を考えずに長編のノンフィクションに取り組んでいた若き頃を思い出します。

出版不況のなか、「いい作品だけども、ノンフィクションは売れないんですよね」などと躊躇いもなく口にする編集者が多い現在、彼等を説得するのに疲れた時や執筆や取材に行き詰まった時など、無名でも情熱を持つ若い画家が無心に描く作品に私はどれだけ励まされたでしょうか。

私にとって、この銀座の小さな画廊は、時として忘れがちになる「初心」を思い出せてくる場所でもあります。

本音を言えば、出版業界にも「枝香庵」のような出版社が欲しいのですが、現実にはなかなかそうもいきません。私のブログをご覧になっているみなさんも、仕事などで疲れたとき、銀座の枝香庵を覗いて「元気」をもらって下さい。

枝香庵は「都会のオアシス」です。

http://www.mag2.com/m/0001671278.html

https://www.facebook.com/galleryechoann/?fref=ts

8月29日から9月5日までは、画家の井上よう子さんの個展が開催中です。
昨年、東京新聞で連載された直木賞作家・白石一文氏の「記憶の渚にて」の挿絵の原画約200点も展示されています。