SONY

17日発売の最新号「週刊現代」(3月1日)に「ああ、『僕らのソニー』が死んでいく」という記事が掲載されている。リードに「かつての幹部が実名で告白」とある。告白だから、いままで語られなかったことがようやく明るみに出るのかと思いきや、これじゃ、単なる愚痴じゃないかと思うしかないことが悲しい。

過去はいつでも美しい。
本当はとんでもないことや、大きな過ちがあったとしても時の流れは甘美な思い出に変えてしまう。

実名で登場するOBの方々は、どのかたも取材したことがあり、ソニー卒業後もお付き合いさせていただいてる方もいらっしゃる。しかしソニー退社後、3年以上を経れば、現役の経営のカンは衰え始め、適切な判断は難しくなると私は考えています。

そんなOBが自分の生きた時代を基準に「あの頃は良かった」と言ったところで、現在の平井体制にとって、風が頬をなでたくらいの感じでしかないだろう。せっかく実名でコメントするのだから、肉を切らせて骨を切る、ぐらいの気骨あるところのコメントを拝読したかった。正直にいえば、実名でコメントするなら、腹をくくってコメントしていただきたかったと。

いまのソニーの凋落のキッカケを作ったのは、たしかに出井さんだったかもしれない。たしかに悪化させたのは、ストリンガーだったかも知れない。しかしそれに乗じてソニーのエレキをダメにしたのは、他にいる。ソニースピリットを失い、自分の出世と栄達に目がくらんだ技術幹部たちこそ、「技術のソニー」をとことんダメにした。

また、「技術は買ってくればいい」などと広言して憚らなかった文系の幹部たちも、「技術のソニー」をダメにしていった犯人だ。

委員会等設置会社など最悪のシステムの導入を決断したのは、出井さんかも知れないが、そのシステムを構築し、良しとしたのは法務の幹部たちである。井深・盛田から続くソニーのDNAやカルチャーを無視し、コーポレイトガバナンスの構築という学校のテキスト通りに作っただけ。まさに机上の空論とは、このことだ。

法務関係者の限界は、想定内のことしか考えられないし、考えないことだ。しかし企業を取り巻く現実は「想定外」の連続である。だからこそ、法務は縁の下の力持ちであって初めてその力を発揮する。

いまや、委員会等設置会社のシステムは、ストリンガーや平井氏の「独裁体制」を担保するものに変質している。そのリスクを、ソニーの法務の幹部は考えなかったのかといまも信じられない思いでいる。ソニーCEOは、社外取締役を「お友だち」やエレキの素人で固めることによって、自分が辞めたい時しか辞めないでいいようになっている。

企業取材を初めて30年以上が過ぎる。
その経験から分かったことは、どんなエクセレントカンパニーであっても、人事と法務の態度がでかくなった時には経営に「赤信号」がともったということだ。