「太平洋の試練」(文藝春秋)から学ぶこと

 二〇一二年三月期決算で、シャープ、ソニーパナソニックの大手家電メーカー三社は最終損益で巨額の赤字を計上した。その合計は、一兆六千億円を超える。一三年三月期もパナソニックは七千億円、シャープは五千億円を超える最終赤字を計上している。ソニーは赤字を免れたとはいえ、資産売却による黒字化で本業の回復がもたらしたものではない。

 赤字決算の元凶は、いずれもテレビ事業の不振にある。いまや世界のテレビ市場を牽引するのはサムスン電子やLG電子の韓国メーカーで、日本を追走するのは低価格を武器に急成長するハイセンスなど中国メーカーである。日本メーカーは両者の挟み撃ちにあって、かつて世界の家電市場を牽引してきた「強い」日本の面影はもはやない。

 その間、日本のマスコミは「家電全滅」、「家電淘汰」、「さよならテレビ」などと悲惨な状況を書き続けた。たしかに、それらの分析等には一理はあった。しかし私はいまひとつ、得心できずにいた。根本的な原因は他にあるのではと考えていたからだ。

 その私に原因究明の手がかりを与えたのは、イアン・ストールの『太平洋の試練(上・下)』(文藝春秋)である。

 本書は、日本軍の真珠湾攻撃から空母を中心とした艦隊同士の戦いとなるミッドウェー海戦までの百八十日間の戦記である。

 一九四一年十二月八日の真珠湾攻撃の成功は、それまで世界中の海軍が採用してきた艦隊戦略――重武装した最大級の戦艦を中心とする大艦巨砲主義など――を否定した。航空攻撃で「難攻不落の不沈要塞」と信じられてきた戦艦を沈めたからだ。さらに二日後、日本海軍は戦闘態勢にあった英国の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパレス」の二隻を航空攻撃で撃沈。これは海戦史上、初めてのことだった。

 この二つ航空攻撃の成果によって、《艦隊の用兵思想は急いで書きなおされ》、機動部隊は戦艦ではなく空母を中心に編成されるようになる。つまり日本軍はルールブレイク(戦艦主義の否定)し、新たなルールメイク(航空攻撃の有効性)の正しさを証明したのだ。

 世の中にはルールメイクとフォロー、そしてルールブレイクの三つしかない。ビジネスの世界で言えば、トレンドを作るかトレンドに乗るか、トレンドを否定するか、である。肝要なのは、ルールメイク(トレンドを作る)が最大の利益をもたらすことである。

 米国の海軍上層部は、真珠湾攻撃で太平洋艦隊の「アリゾナ」など主要な戦艦を失ったことで航空攻撃の優勢を認めざるを得なかった。さらに難を逃れた二隻の空母が温存されたことが艦隊戦略の変更を容易したと著者は指摘する。

 ただし戦艦主義の米国では航空部隊は機材でもパイロットでも、日本よりも劣っていた。航空機は旧式で未熟なパイロットが多かったため、爆撃機からの爆弾が一発も命中しないことや魚雷がすべて外れることも珍しくなかった。空中戦では、ゼロ戦の餌食になった。そのため優秀なパイロットの育成や空母の建造、航空機の最新鋭化などは急務となった。

 いわば米国海軍は日本海軍(航空部隊)をキャッチアップし、フォロワーから始めるしかなかった。

 他方、日本では《彼ら(日本海軍上層部――筆者註)はほとんど終戦まで戦艦同士の洋上決戦の望みを抱き続ける》道を選んだ。なぜなら、真珠湾攻撃日本海軍が戦艦を失わなかったからだと著者は分析する。

 しかし私は、著者の指摘以外に日本海軍上層部の「戦略的思考の希薄さ」を加えたい。企業経営で言えば、ビジョンや事業戦略に相当するものだ。

 日本海軍で艦隊戦略の変更を主張した幹部は、航空兵力の重要性を認識していた山本五十六提督と彼の参謀となる源田実中佐の二人だけである。

 しかも山本は、米国との戦争には反対だった。戦えば、国力の差で負けると考えていたからだ。それゆえ彼は、時の首相から日本の勝機を尋ねられた際「やれといわれれば、最初の六カ月か一年はアメリカさん相手に大暴れしてみせますが」と答えている。
 つまり山本にとって、真珠湾攻撃は「最初の六カ月か一年」の優勢を担保するものに過ぎなかった。米国の太平洋艦隊に大打撃を与え、日本軍が優勢な間に和平交渉に持ち込み、戦争を終わらせる――。
 ところが、真珠湾攻撃後も、シンガポールマレー半島の制空権を握った日本軍は、南方戦線で予想以上の快進撃を続ける。そのため、そのまま戦争を勝ち続けるかのような「空気」が日本軍上層部に生まれ、戦争を終わらせるどころか、いわばビジョンなき戦争の継続に走る。

 当然、海軍の要職にある幹部たちも、勝ち続けている以上は艦隊戦略変更の必要性を感じなかった。つまりルールメイクしたにもかかわらず、そのルールに相応しい態勢を整えなかったのである。

 フォロワーのままで満足する者は、勝者にはなれない。だから、追いついたら必ず追い越そうとするのは、世の常である。

 日本海軍をキャッチアップした米国は、フォロワーから抜け出す。艦隊戦略の変更に加えて「情報戦」という新しいルールを持ち込んだ。それは、暗号解読の重要性である。

 米国は日本軍の暗号解読のため専用のセクションを設け、ミッドウェー海戦の時までには解読に成功していた。つまり戦う前に日本軍の動きがすべて分かっていたのだ。ルールメイクした側が戦いに有利なのは、真珠湾攻撃で日本軍がすでに証明している。

 ここで、日本の家電メーカーが勝者だった時代を振り返ってみよう。
 戦後、日本製品は海外では「安かろう、悪かろう」の粗悪品の代名詞で、評判が悪かった。その名誉挽回のため、日本の家電メーカーは米国のRCAを始め海外の有力メーカーをキャッチアップしながら、製品の改善、クオリティの向上に努めてきた。フォロワーになったのである。

 その結果、フォロワーの中でも高品質で高機能、しかもリーズブナルな価格の製品を作り出す優良メーカーになった。「メイド・イン・ジャパン」が、ブランド化したのである。

 次のステップは、ルールメイクする立場になることだ。日本は世界で初めてカセット式の家庭用VTR(録画再生機)を開発し、とくにVHS方式がディファクトスタンダード(事実上の業界標準)になったことで世界の家電市場での日本メーカーの存在感は一躍高まった。ありていにいえば、VTRで大儲けしたのである。
 ここまでは、真珠湾攻撃後の米国海軍が辿った道とほぼ同じである。

 ルールメイクしても有力なフォロワーが現れ、追いつき追い越そうとする。それを防ぐには、ルールメイクし続けるしかない。

 それが出来なかったのが、日本の家電メーカーのテレビ事業である。

 我が国のテレビ放送は、昭和二十八(一九五三)年に始まる。放送はモノクロで、国産第一号はシャープの一四インチのブラウン管式テレビだった。

 その後、テレビ放送はモノクロからカラー、標準放送からハイビジョン放送、アナログからデジタル、そしてデジタルハイビジョン放送へと高画質・高精細化への道をひた走る。

 家電メーカーも、それに対応するテレビを商品化することで買い換え需要を起こし、普及とともに始まる価格下落に対抗した。その結果、ブラウン管テレビの価格下落は約三十年という緩やかな下降線を辿る。他方、ユーザーには高画質に加えて、大画面で野球などのスポーツや映画を楽しみたいというニーズがあった。それを可能にしたのが、薄型テレビ(プラズマ・液晶)である。

 しかし薄型テレビは、わずか十年で大幅な価格下落が始まる。なぜなら、薄型テレビはブラウン管テレビ以上の高画質化を実現していなかったからだ。

 高画質化は、液晶パネルなどディスプレイの表示能力を高めることと、放送局から送られる間に劣化してしまう映像を復元する映像技術(絵作り)によって担保されてきた。日本のテレビが他国製よりも優れていたのは、この絵作りの技術が優れていたからだ。

 いわば日本メーカーは、テレビは「高画質」でなければとルールメイクしていたのである。

 ところが、二〇〇三年に地デジ放送が始まり、殆どの番組がHD(ハイビジョン)で放送されるようになると、家電メーカーはテレビの画像は送られてくるデジタルHDの美しさで十分だと判断し、さらなる高画質化をはかるよりもテレビを大量に売るにことに注力しだす。新たなルールメイクではなく、価格勝負を選んだのである。

 それに対し、韓国や中国・台湾メーカーは日本メーカーが業績悪化から相次いでリストラに走ると、優秀なエンジニアたちを次々とスカウト。とくに絵作りの技術であるデジタル信号処理の技術者は、いまでは中国に一番集まっていると言われる。
 かくしてフォロワーだった韓国・中国メーカーは、日本製テレビに見劣りしない高画質を手に入れる。世界中に同じような液晶テレビが大量に出回れば、コストの高い日本メーカーに勝ち目はない。

 まさに、ミッドウェー海戦状況に陥るのだ。

 ミッドウェー海戦では、米軍が空母三隻、重巡洋艦七隻、軽巡洋艦一隻、駆逐艦十五隻で艦隊を編成して戦艦が一隻もないのに、日本軍は戦艦十一隻、空母六隻、重巡洋艦十隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦五十三隻他だった。結果は日本が空母四隻と重巡洋艦一隻を失い、二百九十二機の航空機が撃破され、兵士が三千名以上戦死したのに対し、米国は空母一隻、駆逐艦一隻を失い、戦死者は約三百名に過ぎなかった。戦艦は無用の長物であった。

 日本軍も日本の家電メーカーも戦って負けたというよりも、オウンゴールで自滅したのである。日本が「技術立国」「技術先進国とししてテレビ復活に賭けるなら、映像技術でルールメイクし続けるしかない。


 優秀な作品は普遍性を持つ。本書を読めば、指導者には実行力と構想力(先見性とビジョンを描く力)がいかに必要かが分かる。本書が経営者としても優れているゆえんである。

(「週刊文春」(8月29日号)に寄稿した「ソニーパナソニックは帝国海軍だ! ベストセラー「太平洋の試練」に学ぶ日本型組織「失敗の核心」の元原)