8月15日を迎えると、思い出すエピソード

 8月15日を迎えると、いつも思い出すエピソードがある。

 企業や経済関係がテーマの私は、戦争やそれにまつわる取材をすることはほとんどない。たまに、取材を終えたあと、偶然に話を伺う機会がある。そのひとつに満州からの引き上げ時に悲惨な話があった。

 関東軍は事実上、日本からの開拓民を満州地区に置き去りにした。置き去りにされたという意味では、将校など軍の幹部が安全なうちに満州や朝鮮を去ったのに対し、何も知らされなかった一兵卒の日本軍兵士も同じだ。

 私が取材した方は、いわゆる満蒙開拓団の人たちと一緒に日本へ帰るため中国・朝鮮で逃避行を続けた日本軍兵士の一人だった。同じ置き去りにされた者同士、現地の中国人や朝鮮人に襲われるのではないかという恐怖と戦いながら、助け合いながら逃避行を続けたそうだ。行動は当然、見つかりにくい夜に集中した。昼間は休んで、夜逃げるのだ。

 とはいえ、赤子を抱えた女性もいるし、一家で移住してきた家族には年配者もいる。どんなに急がせても限界がある。とくに赤ちゃんには過酷な移動だ。十分な食糧がないので母親のおっぱいを吸っても十分な乳はでないから、お腹を空かせてなくし、おむつもそう頻繁に替えられない。いつもむずがる赤ちゃんは息を殺して逃げる集団には邪魔者でしかなくなる。

 昼夜関係なく泣き出す赤ちゃんの声に大人たちは神経質になり、「静かにさせろ」と非難の声が容赦なく両親に投げつけられるようになった。死と隣り合わせからくる緊張感がそうさせるのかも知れないが、次第に両親は集団にいたたまれなくなる。ある夜、移動中に捜索中の中国人の集団に遭遇し、草むらに全員隠れたという。そのとき、赤ちゃんがむずがりだしたため、見つかるのではないかという緊張感が走った。誰も口には出さなかったが、両親と赤ちゃんを責め立てる目をしていた。

 なんとかやり過ごせたあと、父親は何を思ったのか、母親の手から赤ちゃんを奪うと草むらの中へ消えて行った。そしてしばらくすると、目を真っ赤にはらし鬼の形相をして叫んだ。「俺は、いま鬼になった! 人間じゃない、鬼になった」と。母親は気が狂ったのように父親が出てきた草むらに飛び込んでいった。

 私が取材した人は、「父親が我が子を殺さなければいけない。それが、あの時の戦争の実態なんだ。自分を含めみんなどうかしていたんだ。自分が助かりたいため、父親に赤ちゃんを殺させるなんて……」と言うと、身体をぶるぶると震わせ始めた。そして涙が止まらなくなった。

 私はそのとき、自分のことを話しているのではないかと思った。
 同時に私は、日本国は「棄民」政策を根本に持っている国ではないかと思った。皇軍天皇をお守りする軍隊であって、日本国民を守るものではないと言い放った関東軍の元将校の顔を思い出していた。

 いまの日本は「好戦」ムードでいっぱいだが、戦争を経験した政治家や経営者、財界人など指導層にあたる人たちはほとんど鬼籍に入っている。威勢のいい安倍首相を始め「戦争を知らない世代」ばかりだ。

 若い人、いや年少者ほど好戦的だ。ヘイトスピーチもその現れのひとつと思うが、本当に戦争になったとき、その悲惨さを想像できない彼らはいったいどうするのだろうかと思う。