1億人以上の情報流出 ソニーを誰が殺すのか(「週刊文春」、2011年5月)

 ソニーのネットワークからの個人情報の漏洩が、相次いでいる。

 最初は4月27日。ソニーは、ゲーム配信サービスのプレイステーションネットワークPSN)と映画・音楽の配信サービスのキュリオシティで、全世界59カ国・地域の約7700百万人の顧客情報が漏洩した可能性があると発表した。その後、2度にわたる情報漏洩を起こし、その数は5月8日時点で1億160万件を突破し、今後も予断を許しそうもない。

 類を見ない大規模な個人情報の漏洩問題を引き起こしたソニーのネットワーク事業は、CEOのハワード・ストリンガー氏の肝煎りで始まったものだ。

「コンテンツがなければ、(家電製品は)ガラクタ」が持論のストリンガー氏にとって、ソニーの本業をエレクトロニクス事業からコンテンツやネットワーク事業などを含むエンタテインメント事業へ急送に移行させることは、CEO就任以来の懸案事項であった。その象徴が、PSNとキュリオシティである。

 それゆえ、ソニーはエンタテイメント企業としての社会的信用が、いま問われているのだ。だが、一連のソニーの対応を見る限り、ストリンガー氏を始め経営陣に危機感の希薄さを感じて仕方がない。

 そのことを強く感じたのは、5月1日、品川区港南のソニー本社で行われた記者会見である。そこには、ソニー最高経営責任者であるストリンガー氏の姿はなかった。

 壇上には、ソニーのネットワーク事業の責任者で副社長の平井一夫氏(ソニー・コンピュータエンタテイメント社長を兼務)、情報システムの責任者である長谷島眞二氏(SVP、常務に相当)らが登場し、説明および質疑に対応した。

 ハッカーからの今回の攻撃に対し、長谷島氏が「巧妙な手口で従来の検知方法では検出できなかった」と説明し、平井氏は「業界全体にとって大きな脅威」であり、「拡大するサイバーセキュリティの問題を浮き彫りにしている」とソニーが「被害者」であると印象づけようとしているように感じた。しかし単なる被害者であろうか。

 ハッカーは、PSNとキュリオシティの配信サービスの運営・管理を行っていた子会社のサーバーのソフトウエアが持つ脆弱性を突いてデーターベースに浸入していた。だが、その脆弱性はすでに昨年、発見したソフト会社が周知しており、長谷島氏も「(管理会社の)システム担当者が認識していなかった」と認めている。つまり、人災と言って差し支えない。

 この管理会社の社長は、ティム・シャーフ氏である。ストリンガー氏が、ソフトを強化するためアップルから直々に引き抜いた人材である。それゆえ、シャーフ氏を含む子会社のマネジメントの怠慢が、個人情報漏洩の第一の原因に他ならない。

 また違和感を抱いたのは、質疑応答で記者から経営責任を問われたとき、平井氏が「いま私がここにいるのは、ソニーグループのネットワーク戦略を管轄している責任者として説明させていただいている」と語気を強めたことである。

 たしかに事業の責任は平井氏かも知れないが、氏名や住所、パスワードなどの個人情報以外にも約1千万件のクレジットカード情報が漏洩した可能性を否定できない現状では、実害が出た場合の損害賠償を平井氏の責任範囲で負えるものであろうか。私には、むしろストリンガー氏に経営責任が及ばないためのポーズのように映った。

 そのためか、セキュリティの強化や不正アクセスに対する検知能力の向上など個人情報保護の強化策が次々と発表されても、中止している配信サービスを月内に再開するための方便のように聞こえて仕方なかった。こんな目先の対応策で大丈夫なのかと思った。

 案の定、記者発表から2日後、2度目の個人情報漏洩の可能性が出て来た。しかもセキュリティ管理の甘さは、さらにひどかった。パソコン向けオンラインゲーム運営会社・ソニー・オンラインエンタテインメントSCE)から約2460万人の個人情報漏洩の疑いが起きたが、そのうち約2万7000人分のクレジットカードなどの番号情報が、新しいサーバーに移し替えられるとき、暗号化されないまま古いサーバーに残されたままになっていたというのである。実害の恐れが出て来た。

 当然、PSNやキュリオシティの配信サービスの再開は延期となった。
 沈黙していたストリンガー氏がユーザーに対し謝罪を公式に表明したのは、5月5日である。しかしその場所は、新聞等のメディアでもソニーのHPでもなく、正式のプレスリリースでもなかった。なんと、米国のPSNのブログの中であった。それも「ソニーCEOからの手紙」というタイトルで、「分析は複雑で時間がかかった」などと情報開示の遅れの言い訳やサービス再開の意欲が語られているだけであった。

 なぜストリンガー氏は、先頭に立って自ら招いたソニーの難局に立ち向かおうとしないのか。

「それは、無理ですよ。すべてニコールの指示に従っているんですから」
 とは、ソニー米国CEO時代からストリンガー氏をよく知るOBである。

 ニコールとは、ソニーのEVP(専務に相当)でジェネラルカウンセル(法務担当)のニコール・セリグマン氏である。

 セリグマン氏は、ワシントンDCの大手有力法律事務所時代、クリントン大統領がホワイトハウスの研修生、モニカ・ルインスキーとのスキャンダルで上院の弾劾裁判をうけたとき、その弁護を引き受け、窮地を救ったことで有名。流行語にもなった「不適切な関係」という言葉は彼女が考えたと言われる。

 その有能さを見込んでソニー米国の法務担当役員にスカウトしたのが、ストリンガー氏である。

 前出のOBは続ける。
「日本では考えにくいでしょうが、アメリカでは忠誠心は自分を引き立ててくれる人に対してであって、会社ではないんです。だから、上司が他社へ移れば、その人も移る。セリグマンも同じで、彼女が守るのはハワードであって、ソニーではないんです」

 訴訟リスクのあるものは、セリグマン氏の管轄になるため記者会見さえ彼女の承諾なくして開けないという。以前、世界的な大問題になったPCのバッテリー問題でも、メディアの批判に曝される記者会見の席にストリンガー氏が姿を見せなかったのも、彼女の指示だったと言われる。

 セリグマン氏のやり方をよく知るソニー米国の元関係者も、こういう。
「インターネットで記者会見の様子を見ましたが、平井はニコールがチェックした想定問答の通り喋っているなと思いました。だから、ハワードの経営責任に触れるような発言は絶対にしません。それにハワードは70歳でCEOを辞めると言っていますから、ここで経営責任を問われるような場所に出て行くつもりはないでしょう」

 窮地に立つソニーを救うため、我が身を捨てる覚悟でオールソニーの先頭に立たないCEOなど誰が必要とするであろうか。