パナソニックの大集合、従業員36万人体制に思う

今年の3月31日付けで、パナソニック電工三洋電機を「完全子会社」化するパナソニック、もとい松下電器のほうが書きやすいので以後そうしますが、従業員38万人の巨大企業に生まれ変わるという。来年の1月には、現在の16ある事業部門(ドメイン)を9つに再編成する。この再編で、パナソニック電工三洋電機の社名は完全に消える。

松下電器社長の大坪文雄氏は「ひとつの新しいパナソニックになり、韓国メーカーなどライバルに勝つため」と大合併の理由を挙げるが、いまの松下に本当に必要なのは「事業戦略」を始とする長期の「戦略」である。戦略も持たずに図体ばかりデカクなっても、それでどうしてサムスンやLG電子などと戦って勝てると思うのか不思議でならない。

例えば、松下電器は08年に社名をパナソニックに変更した。

そのとき、大坪氏は社名変更の理由を「グローバルエクセレンス(世界的な優良企業)という目標に対し、松下電器(の社名)は若干ローカルなイメージがある」と説明した。にも関わらず、同時期に松下電器では、13億人の人口を抱え、世界経済を牽引するほど実力をつけてきた中国では、「松下電器」の社名を当分の間使用することを明らかにしている。グローバル企業を目指しての社名変更のはずなのに、もっともグローバルで巨大な市場である中国で「パナソニック」の社名を使わないというのは、理解しがたい判断である。当時、松下電器では「松下」の社名が中国で広く浸透していることを理由に挙げていたが、じゃあ「パナ」はどうするのだと思ったものだ。

戦略がないから場当たり的な対応になってしまった典型である。

松下電器は、中村社長時代の「破壊と創造」のスローガンのもとで展開された3カ年計画が失敗だったことを率直に認めることだ。中村氏は松下電器の目指すべき企業像を「超製造業」というキーワードで示した。それも従来の製造業とどう違うのかを明確に示すことなく、「破壊と創造」を進める目標にした。その時の数値目標は、計画終了年の2004年3月期に連結売上高約9兆円、営業利益率5パーセントを達成するというものであった。つまり、計画の3年間で連結売上高を約1兆7000億円も伸ばすと宣言したのである。

そのために、約1万3000人もの人員削減と、組織の見直し、とくに国内家電販売の中心だった系列政策の見直しに踏み切った。要するに、系列店「ナショナルショップ」の選別と切り捨てである。その結果、最盛期に2万7000店あったナショナルショップは、現在では1万6000店にまで減少している。大規模な人員削減策(特別ライフプラン支援制度)では、松下電器ノーベル賞受賞者が出るとしたなら、彼しかいないとまで高い評価を受けていたエンジニアが割増退職金を片手に大学の教員に転職するなど、優秀な人材が流失することになった。

そこまで犠牲を払った「破壊と創造」の結果は、連結売上高7兆4000億円、連結営業利益率2.6パーセント。目標に到達していないどころか、中村氏が社長を引き継いだ時よりも若干悪化しているか、ほぼ同じくらいなのだ。本来の意味のリストラクチャリング(事業の再構築)は、まず事業戦略があって、そのための人員削減や経費削減などの「傷み」を覚悟するものである。中村氏の「破壊と創業」は、事業戦略の「成果」をともなうものではなかったと言わざるを得ない。しかし中村氏は、経営者としての責任を取ることもなく、問われることもなく済ませている。

これは、最大の権限を振るう者は最大の責任を負うという原則に反するものであり、無責任経営と言われても仕方がない姿勢である。責任をとろうとしない姿勢は、中村氏の一貫した経営態度でもある。

リーマンショック後も、それにかこつけてリストラを強行する松下電器の姿は、いまのソニーとも似ている。

三洋電機を完全子会社化した最大の理由は、次世代電池と太陽光の研究開発で松下電器よりも進んでいたからだと言われる。先日も、松下電器は太陽光の記者発表したが、そのさい、三洋電機のエンジニアの功績を讃える、あるいは労を慰労する言葉もひとつもなかった。あたかも自前で続けてきた研究開発の成果のような言い方だった。こんなところにも、松下の経営陣の奢りを感じる。ここで、松下電器の経営陣に思い出してもらいたいのは、そもそも電池事業は松下が三洋よりも先人の立場にあるということだ。井植氏が松下幸之助氏との仲違いから松下電器を離れることになったとき、妻・ウメノさんに対する配慮、井植氏のそれまでの功績に報いるため松下の電池事業の一部を譲ったという経緯がある。

ところが、その電池事業の研究開発を続け、電池事業を立派なビジネスに育てあげるとともに新しいコアビジネスの芽にまでした三洋電機に対し、稼ぎ頭だった電池事業を低迷させた松下電器経営陣の体たらくは批判されて当然である。その失策を「完全子会社化」という手段で補おうとしているのが松下電器である。

松下電工(現、パナソニック電工)の完全子会社化も三洋電機と似たような面がある。

CES2011でも明らかになったように、電機業界、エレクトロニクス産業に構造的な転換が進むなか、従来のようなAV商品や白物家電の単品販売では家電ビジネスは回らなくなりつつある。とくに販売部門は、家電量販頼みではニッチモサッチもいかなくなる。家電量販も従来以上に生き残りをかけての合従連衡の時代を迎えるであろう。

オール電化、太陽光など新しい家電ビジネスは、いずれも家電量販店では十分な対応ができない。なぜなら、そうしたビジネスは、どうしてもリフォーム事業に絡んでくるからだ。もっというなら、リフォームを行うさいに組み込まれるものだと言っていい。となると、そこで力を発揮するのが、地域の家電販売店や電気工事店などの地域店である。たしかな技術力と小回りの利く、そして地域にとけ込んでいる地域店なら一般消費者の自宅の中まで入り込んでいけるからだ。

ところが、松下は「破壊」で系列政策の見直しを行い、ナショナルショップの選別と切り捨てを行ったため、かつてのような系列店網の強さを持たない。また、優秀なナショナルショップが他へ流れている、あるいはFCへ転換するなどして、本当の意味での優良店が激減している。それに対し、松下電工は電気工事や設置工事の系列店網を持っている。ナショナルショップほど多くはないが、強固なネットワークである。しかも松下電工は、パナホームなどの建築事業からリフォーム事業、電気工事など家全体にかかわる仕事がメインである。つまり、松下電器が欲しいものをすべて持っているのだ。

いまの松下電器の「苦悩」は、中村時代に押し進められた「改革」によって、「明日のメシのタネ」となるものがないことである。ないから、外から持ってこようとしているのだが、問題は何につけても「本社」意識の強い松下電器が、三洋電機松下電工をうまくマネジメントできるかということである。企業の「融合」は、短期間には難しい。うまくいっても、時間がかかる。世界の急速な変化が、松下に時間的な余裕を与えてくれるだろうか。来年1月には事業部門の再編、見直しが行われるが、それは同時に大幅な人員削減をともなうものになるということでもある。

三洋電機松下電工からどれほどの人員を削減するのか。そのとき、松下電器はどの程度のリストラを行うのか。いずれにしても、社内のモチベーションを高める話ではないことだけは確かである。いまのようなたしかな事業戦略を持たない以上、たんに人減らしで終わってしまうのではないかと危惧している。

事業戦略に欠ける以上に深刻なのは、松下電器が自らの「レーゾンデートル」を捨て去っていることである。

松下電器は、ながらく「マーケット・オリエンティッド(市場志向)」の会社だと言われてきたし、松下もそう努力してきた。では、いまもそうであろうか。

そのことを私が疑問に思ったキッカケは、薄型テレビにおける松下電器(経営陣)の頑なな態度である。

現在、世界の薄型テレビの市場シェアは、液晶テレビが93パーセントで、プラズマテレビは7パーセント程度である。つまり、薄型テレビといえば、液晶テレビを指すのが世界の実情である。しかし松下電器は、先日のCESでも3Dテレビをプラズマテレビで展開し、プラズマテレビの巻き返しに真剣である。では松下電器の経営陣は、本当に薄型テレビの市場でプラズマが液晶と互角、例えば50:50の市場シェアにまで盛り返せると思っているのだろうか。たしかに、サムスンもLG電子もプラズマテレビを製造・販売しているが、メインはあくまでも液晶テレビである。松下電器のようなその逆ではない。

なぜ、それほどまでプラズマテレビ固執するのだろうか。

じつは、プラズマテレビしか作っていなかった時代の松下電器に対し、内部からも「液晶テレビ」を作って欲しいという声はずいぶん前からあった。世界最大のテレビ市場だった北米市場で、とくにアメリカでは松下ファンからも「松下の液晶テレビが見たい」という根強い声があった。

それを受けて、アメリカ松下(当時)の責任者は社長だった中村氏に懇願した。

アメリカでは、ライバルはソニーや日本メーカーだけではありません。オランダのフリップスやフランスのトマソン、韓国のサムスン、LGなどたくさんいます。アメリカのユーザーも、パナソニック液晶テレビを見たいと言っています。液晶テレビを作ってください」

それに対し、中村氏は「松下の薄型テレビはプラズマでいくと、本社で決めている。お前は、会社の方針に従えないのか。おれの言うことが聞けんのか。本社の言うとおりにしていれば、いいんだ」というものだったという。

それでも諦めきれず、アメリカ松下の責任者は何度も液晶テレビの製造を願い出た。そうした行動が中村氏の勘に触ったのであろう。「オレのいうことがきけんのか。だったら、飛ばしてやる」と怒りを買うことになってしまい、責任者はのちに更迭されてしまう。

このエピソードを聞いて私が思ったのは、「市場の声を聞く、一般ユーザーの声に耳を傾ける」会社だった松下電器が、それを放棄して机上の空論を重んじる会社になってしまったということである。創業以来、松下電器は創業者の幸之助の指導のもと、消費者が望むものを製造・販売して発展してきた会社である。その強みを捨てたら、どうなるか。

ずいぶん経ってから、松下電器液晶テレビを作るようになったが、あくまでもメインはプラズマである。テレビの大市場である中国では、プラズマ・エレビは時代遅れのテレビと思われているので松下のプラズマ・テレビは売れない。だからといって、液晶テレビが主力のサムスン、LG、ソニーなどの外資メーカーや中国の地場メーカーと同じ土俵では戦えないので、シェアも伸びない。

本来なら、プラズマから液晶へすみやかな方向転換が望ましいが、実力会長・中村氏が健在な以上、中村氏が始めたプラズマ重視策を間違いだったと変更するわけにもいかない。ここにも明確な事業戦略を立てられない理由が存在する。

「松下の経営理念の伝道師」と言われた大番頭・高橋荒太郎氏(元会長)の言葉を借りるなら、「松下グループのどこかに経営ののおかしくなる会社があれば、それは松下経営の基本方針を忘れたからです。考え方の基本を正すことが、再建策の第一歩」というものがある。グループを「本社」に置き換えてみれば、いまの松下の問題点が分かる。

「大集合」したところで、松下電器が世界の家電ビジネスで生き残れる保証などどこにもない。