JAL問題

 鶴のマークとともにナショナルフラッグキャリアとして親しまれた日本航空が、いよいよ政府の管理下に置かれて「再建」の道を辿ることになりそうである。

 それにしても、いつも思うことだが、経営不振とか経営危機が叫ばれて外部からの援助、あるいは再建の必要性が声高に騒がれ出すと最悪の財務状況がすぐに顔を出してくる。日航債務超過(全ての資産を売却しても負債をすべて返しきれない状態)に陥っていることが、最近の報道で分かった。債務超過、つまり事実上の倒産である。

 しかし昨日今日、債務超過に陥ったわけではあるまいし、そうした危機的状況が放置されてきたことが不思議でならない。というか、どうしていまになって、急に債務超過に陥っていたことが分かったのかということに興味がわく。

 以前の西武問題でもそうだった。法人税を1円も払わないという鉄壁の財務管理を誇ったコクドが、西武グループ総帥の堤義明が要職を相次いで退くとともに「いつの間にか」コクドが債務超過に陥っているという報道がなされたあと、「再建」の名のもとにコクドは解体され、グループは再編されてしまった。

 外部から見ていて、何がどう問題でそのために何が必要だったのかという点が、マスコミの洪水のような報道とともに明らかにされないまま、西武問題は終結してしまったように感じたものだった。今回のJAL問題も、似たような印象を受ける。どうして、債務超過に陥るまでになってしまったのかが明らかにされない限り、JAL解体と新たな利権の巣窟になってしまうのではないかと考えている。

 現在のJAL報道をひとまず置くとして、なぜJALの経営がここまで悪化したのかを考えるとき、やはり「日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落」が転機だったように思う。あのとき、なぜこのような墜落事故が起きたのか、再発防止のためには何をすべきか、日航の経営首脳を含め全社一丸となって問題に対処すべきだったのに、社長人事を巡っては民族派日航生え抜き)と天下り先のポスト確保を狙う運輸省(現、国交省)との長年の軋轢が激化したし、それにともない組合問題も複雑化していた。

 事故後も「JAL」という打ち出の小槌に、日航の役員や職員、組合、政治家などが群がり、「血」を吸い続けることを止めなかったのは、誰もがJALが潰れるなんて考えもしなかったからであり、まったく危機感がなかったからである。たしかに、フライト業務は精神的な疲労を含め過酷な仕事だと思うが、深夜の搭乗業務になると、機長とキャビンアテンダント(スチュワーデス)の送迎にハイヤーを使うのはどうかと思った。しかも彼らは、高給取りだ。

 これらのハイヤー代が年間いくらかかたのか知らないが、少なくともタクシーに切り替えるだけでも、かなりの経費節減になったのではないかと素人ながら当時は思ったものである。タクシーの切り替えには組合を含め関係者のほとんどが反対したというから、何を考えているのかと思ったことを覚えている。

 海外では低価格路線が定着し、激しい競争が繰り広げられ、業界再編が進んでいるというのに危機感を持たずにこれたことが不思議でならない。親方日の丸の体質を見直すにしても、墜落事故は大きな転換点ではなかったのかといまも思っている。あの時に、航空会社としての全面的な見直しに着手していれば……と残念でならない。

 人間でも企業でも、必ず転機は訪れる。
 それを見極められなかったことが、JAL問題の根本にあるように思えて仕方がない。