戦争は、人間から「人間性」を奪う

今年の夏はNHKスペシャルが「731部隊」など日本軍の戦争犯罪や、戦争が国民にもたらす悲惨な現実を特集した番組を連日放送した。日本軍の「独走」とはいえ、やはり日本人として自分の国の戦争犯罪をドキュメンタリー番組で明らかにされるのはつらいものがある。

もちろん、2度と戦争を起こしてはならないと改めて思うし、戦争は勝っても負けても私たち庶民には多大な犠牲を強いるものだ。戦争で金儲けを企むのは一部の人間だし、彼らは戦争に負けても新たな金儲けのタネを容易に見つけ出す。だから、「悲惨な」戦争の現実とは無縁である。

その悔しさを、いつも夏には思いだしてしまう。

「戦争」が私たち庶民にどれほど「非人間的」な行為を迫るかは、NHKスペシャルでも具体的なケースをあげてその実態が放送された。ただ私には、戦争やその被害について企画・取材した経験はない。しかし別件の取材で、当事者たちから偶然、聴かされた話は少なくない。

その中でも、思わず「これほど非人間的な行為をさせたのが戦争なのか」と信じられなかったのが、満州からの引き揚げの途中で父親がわが赤子を殺したケースである。

その話を聞いたのは、盆を控えた暑い日だった。ある企業取材のため役員OBの自宅を訪れたのだが、インタビューは長時間に及び、終わった時には外はすっかり暗くなっていた。そのあと雑談になり、しばらく四方山話に花が咲いたあと、突然彼は、満州からの引き揚げの体験を語り出したのだった。

関東軍の将校や政府関係者およびその家族は、日本の敗戦およびソ連軍の侵攻の情報をいち早く入手すると満州から速やかに立ち去っていた。置き去りにされたのは、日本軍の兵士と入植していた満蒙開拓団の農民たちなどであった。

置き去りにされた人々は、それぞれグループを作って満州を南下して日本本土を目指した。彼は当時、10代半ばで親戚の人たちに同行して満州にきていた。戦争に敗れた日本の国民にとって、「満州からの南下」はいわば「敵陣」の中を自分たちを守ってくれる軍隊もなく、無防備のままの「逃避行」であった。

そのため行動は人目のつく昼間を避け、夜に限られた。それでも現地住民の攻撃を避けるため、声を殺し息を潜めて見知らぬ道を逃げるのは、相当な緊張感が続いたことだろう。とくに、赤子や幼子を抱えていたら、その緊張感は耐えがたいものであったろう。

しかし赤ちゃんに「泣くな、静かにしろ」、あるいは両親に「泣かせるな、静かにさせろ」というのは無理難題というものだ。もともと赤ちゃんは「泣くのが仕事」なのに、逃避行の間、満足な食事も与えられず、おしめの取り替えも十分でない以上、ぐずり、泣くのは当然である。

母親がいかにあやそうとも、空腹が癒やされることもなければ、濡れたおしめが取り替えられなければ、その不満を訴えるしかない。

そんなことは、行動を共にする引き揚げ者の誰にでも分かっていることだ。しかしそのままにしておけば、自分たちの命が危うくなる。出来ないことでもあっても、「どうにかしろ」という有言無言の周囲の圧力が赤ちゃんの両親や親族など関係者にかかったことは想像するに難くない。

そのような緊張状態に耐えかねたのか、ある夜、赤ちゃんの父親が立ち上がり、「オレは、いまから鬼になる。鬼になるんだ」と言うと、ぐずる赤ちゃんを抱えて茂み入っていった、という。

しばらくすると、目を真っ赤に腫らした父親が茂みから出てきた。
そして「オレはもう人間じゃない。人間じゃないんだ。鬼だ」と叫んで、その場にうずくまって動けなくなってしまった、という。

役員OBは話しているうちに身体がぶるぶる振るえだし、声も上ずり、気づくと目から涙が溢れていた。

「あの時の場面が目に焼きついて、忘れたことはない。この季節になると、夢の中に出てくるんだ。夜中に飛び起きたことは数え切れない。あれは、人間のすることじゃない。戦争は、人間をそこまで追い詰めるんだ。君ね、戦争は絶対にしてはいけない。一般庶民には、何もいいことないんだから」

その時は突然のことなので、何が起きたのかよく分からなかった。
しかし実際に我が子を持つ身になって、自分の子供、それも赤ちゃんを殺せるわけはないし、殺せと迫られることなど想像もできなかった。戦争とは、人間からもっとも大事な「人間性」奪う化け物なのだとつくづく思った。

テレビなどメディアで威勢のいいことを言っている政治家でも経営者でも、また学者やメディア関係者、あるいは政治集団(組織)など、自分では戦争に行かないし、もし行ったとしても一番先に逃げる連中である。信用してはいけない人間なのだが、国民の多くが信じているところに本当の悲劇があるのかも知れない。